御由緒
当社は清和天皇貞観年中(八六〇)の創建で、岡山という現在の岡山城本丸の地に鎮座しており、「坂下(さかおり)の社」と呼ばれていた。
永禄年中(一五五八-一五七〇)に「岡山大明神」と改め、天正元年(一五七三)岡山に入城した宇喜多直家が岡山城を築くにあたり、現在の社地に遷し岡山城の守護神として社領(神社の土地)を寄附。
直家の子、秀家が本殿を、その後の城主小早川秀秋が拝殿以下を造営した。
池田家が城主の時は城内鎮守として特別に崇敬され、社領として三百余石を寄附。
万治年中(一六五八-一六六一)以後は「酒折宮(さかおりぐう)」と号していたが、明治十五年、社号を「岡山神社」とした。
昭和二十年六月二十九日の岡山大空襲にて随神門ほか末社数社を残すほか焼失。
昭和三十三年本殿を造営。
昭和五十年拝殿幣殿を造営。
昭和六十三年社務所、参集殿を新築。
旧社挌は県社。
隋神門について
岡山神社随神門は、池田継政によって延享二年(一七四五)に造立された、三間一戸の八脚門で切妻造、本瓦葺で、岡山大空襲でも焼け残った数少ない岡山城下の近世建造物である。
平成十六年二月二十四日、岡山市の重要文化財に指定。(重要文化財第四十九号)
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創 立
清和天皇貞観年中(八六〇)
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御祭神
主祭神
倭迹迹日百襲姫命「やまとととびももそひめのみこと」
第七代孝霊天皇の皇女であり吉備津彦命の姉。
霊能力が強く聡明で叡智に長けており、
予言や託宣などで疫を治め、
武埴安彦の謀反を未然に防ぐなど、
崇神天皇の治世の時に重要な役割を果たした。副祭神
日本武尊「やまとたけるのみこと」
吉備津彦命「きびつひこのみこと」
大山昨命「おおやまくいのみこと」(山王神)
倉稻魂命「うかのみたまのみこと」(稲荷大神)
武安霊命「たけやすびのみこと」(池田光政)
妹姫命「いもひめのみこと」